話題:○○恐怖症
先日客に古傷を抉られて以来、塞ぎ込んでいた私です
でも学校関係での飲み会にて、良い意味で「普通の」男性陣と会って、精神状態を戻せました。行って良かった。
丁度良い話題があったので利用。
ブログという名のセルフトーク。
独白
人を憎むのには相応の情が要る
と、思う。
5年以上も前のことを未だに引きずっているのだと、ふとした時に気付かされる。
そんな自分が自分でも馬鹿だと思う。
彼の顔なんてもう覚えていない
顔だけでなく名前すら
温もりも思い出も。
覚えているのはただBVLGARIのBlackを使っていたことと、別れ話の長電話。
未だに私を苛む音と言葉。
自傷する音が忘れられない。
自殺をほのめかす文句も。
今ならば上手く扱えただろうけども、未熟な私は言葉通りに受け止め、恐怖し、相手は責めれないので自分を責めた。
時とともにいつかは忘れる、或いは思い出にして受け入れられるだろうと思っていたが、なんてことない。
外的刺激は確かに薄れ、忘れゆく。
でもその時強く感じたことは消せない。
愛を歪めた恐怖。
束縛される恐怖。
自分が歪ませ、相手を狂わせ、奇行にはしらせたのだという恐怖。
人には一経験として笑い話にしてはいるけど、似た要素を持つ男に接すると恐怖や不安を感じてしまう。
そんな自分が一番笑えるけども。
理屈も一般論もどう捉えどうすべきかはよくわかっているけど、どうにもできない。
どうにも出来ない、というのを建前に、どうにもする気がないだけなのかもしれない。
もしかしたら罪悪感や苦しみを自ら望んで、可哀想な自分を演出しているのかもしれない、とも思う。
許されたい
許したい
許されたくない
許したくない
同情も批判も肯定も欲しくない
そもそも許す許さないなんて話でもない
それでもそんな風に葛藤してしまう
罪悪感に耐えきれず、ずっと覚えていると言った。そんな自分の言葉が何よりも私自身を苛むなんて滑稽な話。
泣きながら喋った窓の外は、確か、きれいな満月だった。
満月の影が人面に見えるのはそれ以来だと思う。違うかもしれないけど、多分。
私を歪んだ笑みで蔑むように見下す。
きっとどこにでもよくある話
それを特別視しているのは私の弱さ。
私の悪かったところは理解している
相手の悪さも、弱さも。
生傷が膿んで、私を苦しめる相手を憎んだ。でもそこからまた暫く経つと自分自身を憎むようになった。
自分が許せなくて、満たされて幸せでいる権利など無いと思い、自分で自分を苦しめる選択ばかりを選んだ。
でもそれもまた、弱く可哀想な自分を愛するための逃げだったかもしれない。
でもそのおかげで、精神的にはタフに、そしてドライになった。
私と他者とを、絶対的に別物だと切り離す。その考えは、誰かに嫌われることや、失うことで受ける心的ダメージを無に等しくした。
縁が切れたか、と客観的に思う。
縁が切れたら終わり、それだけ。
今ふと、ここまで書きながら過去を振り返ってきて気付いたことがある。
おそらく私は
好かれるのが怖いんじゃない
愛されるのが怖いんじゃない
縋られるのが、怖いんじゃなかろうか
縋り、依存されることが
そして束縛されることが。
同様に、私が相手にそうしてしまい、顔も忘れた男と自分自身がかぶってしまうことが。
だから、好きだと告げられれば反射的に逃げてしまうし、相手の中で私への好感度が高まっていると感じれば、それが下がるように振る舞ってしまうのではないか。
縋られないように、縋られるほど好かれないように。自由でいられるように。
自分の中の良くない過去と向き合うのはなかなかにエネルギーを使うね。
中途半端だけど切り上げます。字数の制限もあるし
新たな考えを悟れただけでも十分、こんなでも成長しているんだろうか。
少なくとも数年前は自分を貶めることで一杯だった。プライドからか、外に極力露呈しないようにはしつつも。
いや、ミクシィや日記に病みまくってだいぶと痛い感じの文を投下していたか。
苦しいのを知られたいような、知られたくないような、そんな葛藤の中で、ただ文字として溢れさせていた気がする。
古い記事を遡って読むと、色んな意味で面白いね。
過去の事実を忘れることも、一つの思い出として受け入れることも出来ないならば、上手く付き合っていかなければ。
何度も思いだし、反芻し、考えを深めながら。
決して
誰かに私を受け入れられたいわけでも
理解を得たいわけでもなく
同情や否定や肯定が欲しいわけでも無い
これはただ、自己満足なセルフトーク。
そして
過去の私と、誰かへの懺悔。
ああ、でも、やっぱり、
どうか私の過ちを許して下さい。
嘘や毒を吐けるこの口を
この手を、この足を
今までのことも
これからのことも。
personaで全てを覆い隠すけれども。
終