何回か前に思ったことで、言葉の解釈に迷って下書きしてたやつ。

『十で神童、十五で天才、二十歳過ぎればただの人』

才能があっても大人になれば才能が消えてしまうみたいな言葉だけど、どうしても『ただの人』がネガティブなニュアンスに思えないんだ。
むしろ二十歳未満の方がポジティブではないというか。
天才天才と騒がれてもそれも二十歳過ぎれば終わること。
遙も一期ではそんな感じでどうやり過ごそうか…みたいに捉えてなかった?
遙にとっては今や二十歳を目前に控えた自分を追い込む呪いになっちゃってるけど、旭や貴澄みたいにどんな未来が待ってるんだろう?!ってワクワクしてるのが健全だよね。
ちなみに私は二十歳になりたくなさすぎてずっと19才がいい!って思ってたから遙の気持ちはめちゃくちゃわかる。
才能どうこう以前に年齢でリミット決めるのってメンタル的に決して良くないことじゃん。
だって年は絶対とるわけで時間は止められない。
計画的に色んなビジョンがあって期限を設定するのと、ただただ抗えない大きなうねりにアレルギー起こすのとは全然違う。
遙は二十歳過ぎたら人間に戻っちゃう、泳げなくなっちゃう、ピークは今しか無いって恐れてる。
凛ちゃんは今から泳ぎ続けるにはどうすべきかを考えてる。
そして凛ちゃんは二十歳の呪いを知らないから遙が焦ってる本当の理由がわかってない。
俯瞰で見た時、凛ちゃんが遙に提案してきた事って二十歳過ぎても『ただの人』にならない方法なんだよね。
凛ちゃんはずっとずっとばっかり言ってるからいつまでどうとかは考えてない。
行ける限り行こうぜハル!なわけで。
で、もっと言うと凛ちゃんはそもそも遙がただの人になったとて変わらないんじゃないか??
ただの人ってそんなに憂いる状況か??
凛ちゃんにとってはただの人かただの人じゃないかという尺度より一度惚れ込んだ遙のフリーは永遠に存在するもので自分を導いてくれた光に違いない。
呪いから解放されてただの人になることこそ『フリー』なのかもしれん。
努力の人凛ちゃんと天才遙。
遙には凛ちゃんが眩しくて仕方ない。
お互いがお互いにとって眩しくて仕方ないとは。
存在がでかすぎて嬉しい悔しい妬ましいなんて感情はあり得ない。
凛ちゃんに共に生きてもらえなくなることが遙の恐れの根源だとしたら凛ちゃんしかその恐れを取り除ける人がいないんだよなぁ。
でも凛ちゃんは遙と世界で戦い続けたいからただの人になれよとは言ってあげられない。
ただの人でいいんだけど、わざわざただの人になって欲しくはないというか。
え、Free!ってやっぱり腐ってるの?!
遙にとっての凛ちゃんという存在が解明されない限りこの混乱は続くよね。
腐ってる結末見せられても心底困るんだけどそうとしか思えないレベルまで来てるよね。困惑。
今までは部活!仲間!青春!だったから触れなくても違和感ないけどFSはそういうわけにいかないルートだよ。
おとぎ話のめでたしめでたしが壮大な○○だったら…どうする?
やー、ほんとにね部活やってたからわかるけど人生の全てが部活だったよ。
時間の大部分が部活、人間関係も部活、考えることも何もかもが部活部活部活。
強豪校のスター選手に憧れてプライベート探りまくったしその世界が全てだって信じ込んでた。
でも部活が将来人生になっていく人なんて一握りよ。
監督のインタビューにもあった通り凄い選手でも普通に就職する。水泳に打ち込んだ経験は活きる。
ここをどう見るかだよね。
30分以上かけて打ったのにとりとめなくて笑っちゃう。
しばらく時間はたっぷりあるからまた改めて反芻したい。寝よ。