NHKが興味深い。
死の哲学だって。

やっぱり欧米の人って考え方が柔軟だと思う。
教育が偏ってると差別だったり歪んだナショナリズムだったり、
人間個々が持ってる主張とか意思を統制するものに繋がる。
個々の考え方は自由でいいはずなんだけど、自由の意味を履き違えると結局偏ったものになる。
このドイツ人の上智大名誉教授は、ドイツ人でありながら反ナチスの家庭に育ったという。
親から受け継いだ思想や信仰と、周囲の環境との狭間で、
彼は色んな葛藤があったなか、広いスケールで物事を捉える事の必要性を自ら学んだらしい。

結局、全部自分次第なんだと思う。
同じ光景を見ても感想が人それぞれ違うように、
同じ場面に遭遇しても何も感じない人もいる。
何か思うのか、何も思わないのか、何を思うのか、何故そう思うのか、
そんなの自分自身にしか答えは見出だせないのは明らかでしょ。
どこにも正解はないけど、それぞれが意思・主張を持ってるのが人間。
それなのに国単位や宗教単位で善悪をつけようとする人がいるのは凄く馬鹿げてる。
日本は戦争中ひどい国だったと私は思う。
外国に対しても、自国民に対しても。
だけどそれは時代を、戦争を、一部の日本人を忌まわしく思っているのであって
今も日本全体を陥れたいと願い、陰湿な意図を持って日本と過度な関わりを持とうとする人がいることを許すものではない。

連合軍が原爆を落としたとんでもない過去は消せないけど、
真珠湾で戦争を仕掛けたのは日本だと思ってるし、アメリカ人自体を憎んでるわけじゃない。
戦争に限らず、どんなにとんでもない体験したって自分らしく考えていける人でありたいよね。

ドイツ語では、動物の死と人間の死では言葉が違うらしい。
動物の死は『消え去る』という意味で、人間の死は『生をまっとうする』という意味らしい。

『私は二度と癌告知を受けたくないが、自分自身を成長させたという意味で癌の治療を経験して良かったというパラドックスを感じる』
『我々の人生は喪失体験の連続である。我々は何を失うか選択はできないが、失った後にどう生きていくかを選択することはできる。』

なるほどすぎる…。