熟成した議論が成立するためには、その議論に参加する人々全員が一定程度の認知的複雑性と誠実性の両者を持たねばならないのです。
いずれか一方でも欠けてしまえば、そして、そういう人々が議論にたった一人参画しているだけでも、真っ当な議論というものは成立しない。


橋下徹や倉山満辺りを想起しますなw