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続きです
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剛志 アメリカの建国の父の一人にアレクサンダー・ハミルトン(1755〜1804)という人がいます。当時、アメリカをどんな国にするかをめぐって、ハミルトンとトーマス・ジェファーソン(のちの大統領・1743〜1826)はそれぞれの派閥に分かれて論争を繰り返していました。
  ジェファーソン派は、州ごとにほぼ独立した国家(ステート)を立て、それらの連合体にしようと提唱した。中央集権的な国家にしたくなかったからです。一方、ハミルトン派はこう主張した。イギリスのような島国は海に囲まれて守りやすい。だから絶対権力が発生せず、国民は自由を享受できる。そこで、アメリカも海に囲まれた一つの統合された国民国家にすべきだとハミルトンは考えた。イギリスを参考に、島国という、自由を確保するための地政学的な環境をアメリカにも作り出そうという戦略です。その方が自由が守られるからです。
適菜 先見の明ですね。
剛志 ですから、自由主義とか立憲主義とかいわれる近代的な価値観の誕生は、じつは意外と、軍事的あるいは地政学的な要因が大きいのです。
もう一つ重要なことは、こうした価値観は近代になって民衆が支配者から勝ち取ったものではなくて、もともと中世からあったということです。エドマンド・バークは、それを理解していました。ただし、彼は半分正しくて半分間違っていた。
バークが「伝統や歴史を守れ」といったのは、それがイギリスでは自由の基盤だからということをちゃんと弁えていたわけで、その点は正しい。
けれども彼は、自国についてそう言ったばかりでなく、フランスについても同じことを言った。その点は誤りだったと思います。なぜなら、フランスには自由の基盤となる中世以来の立憲主義の伝統が、絶対王政によってすでに断絶していたからです。つまり、フランスにはフランス革命の前に、保守すべき自由の伝統がすでになかった。
適菜 なるほど。ジェファーソンの「州に分散する」という発想も、そのほうが民主主義的だという発想ですよね。
剛志 だからジェファーソンは、民衆には人気があった。そして第三代合衆国大統領にのぼりつめています。ちなみにハミルトンの方は政敵との決闘で死んでいます。
これまた余計な話になりますけど、ジェファーソンもけっして品行方正ではなく、どうやら奴隷の女性と性的関係を持っていたようです。
信子 本当ですか?日本では道徳的にも高潔な建国の父と思われていますが……。
剛志 彼は第三代大統領になる前に妻を亡くし、その後は独身を通しましたが、ジェファーソン家の奴隷であるサリーと、とかくの噂がありました二十世紀の末にサリーの子孫のDNAが調べられ、サリーが産んだ子供の一人がジェファーソンの子である可能性あり、との結果が出たのです。
信子 やれやれ…。きれいごとを言う人間は、たいてい偽善者。擬態の能力の高い人、いい人と思わせるのが得意な人がトップに立ちやすいという仮説が、またしても支持されてしまったというわけですか。


綺麗事を云わない偽善者もいるだろうが、大抵は綺麗事を云うから偽善者なんだよな。ってややこしいか(笑)
俺は道州制は厭なので、ジェファーソンは支持出来ないな。