優しくありたい、この人には笑顔で接したい
そんな思いでいられる人と、一緒にいたいよね
生きているんだから
生まれてきたんだから
死ぬまでのひととき
何も迷わずひたすら1点だけを目指して生きるだけなんて
およそ感情の動物である人間らしくもない
『あの人には笑顔で接したい』って気持ちは、義務感ではなく営業でもなく義理でもない
わたしが、そうしたいと思える人ってこと
大事な人ってこと
相手の反応を気にして気を使う部分は欠片もないってこと
そんな人に会えたなら生まれてきたことに心から感謝するだろうね
色んなことがあってもね、結局決めるのは自分なの。
他人は他人。
慰めてくれるかもしれない、支えてくれるかもしれない。
でも、他人は他人。
アドバイスしてくれるかもしれないが、あんたのことをあれこれこまやかに世話してくれる人なんていやしない。
はっきり言うと、みんな自分自身のことをかまうので精一杯なんよ。
他の人のことなんて考えてる場合じゃないし、気にしてなんかいやしない。
そんな中で『ふっと特定の誰かのことを考える時間』っていうのがあるのに気づくのは幸せなんだけどね。
大切にしなくちゃではなく、心から大切にしたいと思える誰かがいるってのは幸せなんだけれどね。
相手の反応を気にしたり、自分がしてることを責めたり後悔したりするくらいならもっと自分ってものを知ろうとしたほうがいい。
居場所?
そんなのは見つけるんじゃなくて作らなくちゃどこにもありはしない。
こころからあんた自身を受け入れてくれる場所はきっとある。
どこにでも、ある。
でも、『いてもいい』『必要とされる場所』なんて、自分から行動して作ろうとしなくちゃ存在しえない。
あんたが、あんた自身をその場所のしかるべきところに置いてやって、ありのままのあんたが楽に担える役割を見つけてやらなくては。
『飽きた、卒業、面倒、離れたほうがいい』
そう思うのなら最初からそこまで好きではなかったんでしょう。
無理してまでいなくていい。
距離を置けばいいの、自由に。
結局のところ、好きな場所があるのなら居心地のよい環境づくりに参加しなくては『いてもいい場所』になんかならない。
いてもいい場所、もとい、いても窮屈じゃない場所…それはあんた次第。
いるだけ、受け入れてもらうだけの場所ならあんた自身があんたを窮屈にするだけ。
難しく言うなら、その場所でのあんたが担っている役割をあんた自身が認めているかどうか。
そこなんだよね。
九州へ早めのバカンスに行ってきましたよ。
もう、わたしの夏は終わったね。
中々楽しかった。
姐さんと会えたし。
千里十里(ちりとり)っていう鶏専門のお店に連れていってくれた。
かなりすばらしいお店。
クーポンで半額ってのは見に余る光栄だったかな。
ありがと、姐さん。
ハウステンボスから熊本城まで、堪能できました。(´ω`)
認知症サポーター育成研修の帰りに、東山動植物園に隣接しているタワースカイタワーに行ってきた。
改めて、中々よいタワーだと思ったよ。
見張らしは抜群。
動植物園にゆっくり行ったあと寄れるしね。
今度、ルミちゃんと動植物園&タワーデートしたいわぁ。