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学生のころ

中学、高校…

かなり印象は暗めの学生でした。
友だちはいましたし、今でも時々連絡とる子もいますけど、でもはっきり言って人間関係をスムーズにやりくりできるような器用な学生ではなかったんです。
青春っていえるようなもの、あったかどうか…。(笑)
数えるほどの少ない友人とさしで過ごす時間はとても楽しかったですけどね。
わいわいやる、グループで過ごすというのはどうも疲れてしまって、好きではなかったんです。
それに人前に出て何かするのも今思うとバカバカしいくらい緊張してしまってだめでした。

何だろ、とことん自分から突き進む勇気のない人間でした。
不真面目ではありません、たぶん真面目な人間でした。
将来の夢もありました。
ただ…人間関係を作るという点においてとことん不器用だったのです。

話すより聞くほうでした。
話しかけられれば拒否はしないのです。殻に閉じこもっているのとは違いました。
でも、自分から関係を作るべく進むという勇気はないに等しかったということです。


そんな中高時代でした。
だからすごく楽しかったという普通の人にありがちなまばゆい青春をすごしたという記憶はないのです。
あんなバカをやった、とか、若かったから無茶をしたとか、そんな思い出も全くありません。
実に無難な生活をしていた学生でした。


かといって楽しくなかったのではないんですけどね…


ああ、高校の20分かけての自転車通学は面白かったかな。
帰りとかの自由が利いて、風も清々しくて。
雪の日は困ったですがね。(酷かったときは歩きましたよ)


今思うと、もっとティーンエイジャーよろしくワイワイガヤガヤすれば、思い出に残ってよかったのかもしれませんが…そんなことができない自分だったんですよねえ。

児童なころ

小学校に上がりたてのわたしは、1メートルに も足らない身長の、ランドセルに背負われて る子どもでした。 小学5年や6年の子がずいぶん大人に見えたも のです。 周りは田んぼで、レンゲや数珠玉、つくしや タンポポなどを探しては遊んだりしてました 。 ゴム飛びや縄跳びも好きだったかな。

その頃の思い出と言えば、家を建て替えるた めに引っ越しをした年のクリスマス。 ジェニーちゃんという着せ替え人形が欲しか ったわたしはサンタさんに頼んでいたのです が、当日の朝置いてあったのは大きなウサギ のぬいぐるみ。手紙が置いてあって『この子 はジェニーちゃんです』と書いてあったのでし た。 ウサギはかわいくて気に入ったのですが、幼 心にもなにかが違う感が否めなかった記憶が あります。

一緒に暮らしていたマルチーズのちょめが亡 くなったのは家を建て替えた辺りだったった でしょうか。 ちょめは臆病な犬で、雷が大嫌いでした。 鳴ると必ずベッドの下にもぐり込みます。 滅多には鳴かない犬でした。 わたし自身小さかったので、ちょめに遊ばれ ていたかもしれません。

そのちょめのお腹にできものができていると いう話は聞いていたのですが、それほど重要 なこととは思ってはいませんでした。 今なら、ガンだったのだなと思えます。 亡くなる前日、普段は鳴かないちょめがわた しのそばで遠吠えしました。 ちょめのその様子にわたしはびっくりしたの です。

次の日学校から帰るとちょめの姿はありませ んでした。 祖母から亡くなったんだと聞かされたのです 。 そのときのわたしには、状況ははっきりと理 解できてはいなかったと思いますが、もう家 を探してもどこにもちょめはいないんだとい うことだけは分かりました。

それ以来、実家で動物を飼うことはありませ んでした。

いつつのころ

母は働きながらわたしを育ててくれました。
保育園に通っていたわたしは、案外やんちゃだったかもしれません。
でも結構頭の中ではませたことを考えていました。(今思うと、そう感じます)


わたしの名前の由来は綾織物。
あの変化に富んだ色鮮やかで美しい織物のように、平坦で面白みのない人生ではなくたくさん経験して人生を楽しんで欲しいっていう願いだそうで。
…まあ、そんなことは本当に大人になるまで知らなかったんですけどね…
教えるのが遅いですよね。(笑)

でも名前はとても気に入っていました。
自分で自分を呼ぶときは『あ〜ちゃん』でした。

産まれてくるとき、中々産まれなくて、産まれても産声は上げなかったんだそうです。
バシバシ先生にたたかれて…やっと泣いたんだそうです。
歩き始めも、オムツをとるのも、とても早くて周りはびっくりしたんだとか。看護師の母、強し。
『小さくて体重も軽かったわたしだったので、動きやすかったんじゃないか』と…。
運動神経の発達はどうやらそこまでだったようですが。(笑)

小さく生まれて、保育園に通うようになってもやっぱりとっても小さいわたしでした。
保育園の先生にはなんだか猫っかわいがりされてたようです。
大好きな先生もいました。名前もいまだに覚えています。
お嫁さんになるんだと宣言していた(らしい)男の子もいました。
幼児ならやらかしてしまいがちな失敗をしてしまったときでも、その年齢には似合わずめちゃくちゃ頭の中が冷静な子どもだったですね。
音楽に力を入れていた保育園でもあったので、発表会は定期的にありました。
そのときにいつも着る制服が結構好きだった記憶があります。

親戚のおばさんにブランコを思い切り漕がされて泣いた記憶も、遊びに行った先の公園でのカマキリ事件も…結構覚えているものですね。

北海道の雪祭りで滑り台を滑った記憶は…あれはいくつのときだったでしょうか。
実家の家の建て替えをしたのは、小学校に上がってすぐだったかな。


思いつくままに、記憶をたどってわたしの幼児期をつづってみました。

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