脚本家 山田太一さん死去 数多くの名作ドラマ手がける
12月01日 10時10分

「男たちの旅路」や「ふぞろいの林檎たち」など数多くの名作ドラマを手がけた脚本家の山田太一さんが、11月29日、老衰のため、川崎市内の施設で亡くなりました。
89歳でした。

山田太一さんは東京・浅草生まれ、早稲田大学を卒業後に松竹に入り、木下恵介監督の助監督として映画作りに携わりました。
そして、1965年には脚本家として独立し、1976年からNHKで放送された「男たちの旅路」は、鶴田浩二さん演じる元特攻隊の警備員と戦後生まれの若者が世代間のギャップから激しくぶつかり合い、さまざまな社会問題を浮き彫りにした作品で、大きな反響を呼びました。
また、学歴や容姿に劣等感を抱く若者たちを描いた「ふぞろいの林檎たち」をはじめ、「岸辺のアルバム」、「早春スケッチブック」など数多くの名作ドラマを手がけました。
山田さんはオリジナルの作品にこだわり、同時代の倉本聰さんや向田邦子さんとともに、それまで地位が低かったシナリオライターの社会的地位を高めました。
一方、映画化もされた小説「異人たちとの夏」では山本周五郎賞を受賞するなど、小説やエッセイでも高い評価を受けています。
近年、山田さんは、東日本大震災をテーマにしたドラマを手がけるなどしていましたが、6年前に脳出血で倒れたのをきっかけに執筆活動をやめていました。
その後は、川崎市内の施設で過ごしていましたが、11月29日、老衰のため亡くなりました。
89歳でした。





今日から12月です。




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今日の体調もよくないです。腰の調子はいつもよりおかしいです。若干以下痛みがありました。頭が重たい時は少し以下ありました。頭が傷む時は少し若干以下ありました。足膝の痛みは若干ありました。便はほとんどありませんでした。お腹に若干違和感がありました。お腹が痛い時は若干以下ありました。歯の痛みはほとんどありませんでした。胸が痛む時は少しありました。背中の痛みはほとんどありませんでした。指先が痛む時はありませんでした。肩が痛い時腕が痛い時はいつもよりありました。今日も疲れました。今日は血圧は普通でした。手のしびれはほとんどありませんでした。四十肩です。今日は過ごしやすかった。



そろそろ眠くなってきたのでこれで終わりにします。





今日の日記はここまでまた明日の日記まで。